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久留米の魚政を継いで奮闘する お客様の太陽としてパワーアップ!

光代さん 48才 2018年 乳がん発覚 Stage1

久留米の名店”魚政”の若女将、光代さん。あなたのストーリー聞かせてください

まずは、ご家族やお仕事など「今」を教えてください

福岡県久留米市の海鮮料理店魚政”に嫁いで18年。

6年前の法人化し、専務取締役を務めています。
魚政に入って18年目になります。

経営以外でも接客、営業、広報を担当しています。

魚政は社長のお母様が立ち上げました。

出身は生まれも育ちも柳川市です。
兄2人、弟1人の男ばかりの兄弟の中で育ったせいかヤンチャで男勝りな性格に。
メソメソしたら相手にされないんです(笑)

家は、お酒や食料品の販売業をやっていて、両親共に忙しく、
兄弟4人だけで育ってきた感じですね。

「明るいね」「元気だね」
これは小さい頃から必ず言われていたかな…

明るさの所以は何ですか?

家が商売をやっていたので、店番や配達に、よく行かされていました。
卸業者さん達の出入りも毎日。だから、
色々な人と出会う機会が多かった事も、

明るい性格に、影響しているかもしれません。
楽しみながら仕事をするのは、父譲り。

我慢強く、真っ直ぐ生きるのは母譲りだと思っています。

小さい頃から、いつも元気で病気をした事がありませんでした。

風邪も引く事も
熱で寝込んだ事も
ほとんどありません

魚政の第一印象はどうでしたか?

最初は目立たない地味なお店だなぁと思っていました。

魚料理を扱っているお店なので、敷居が高く感じましたね。
魚料理が初めてでしたし、触れたことがなかったんです。

でも、徐々に慣れていったんです。

お店を手伝う事が当たり前になっていきました。

中に入ると、両親は優しくて温かくて…

お客さんも温かい。
入りづらいとか感じたのは最初の一歩で、中に入ると家庭的な空気がとても心地よく、
感じる場所でした。

魚政の生みの親でもあり義母の”政子さん”詳しくお聞かせください

母は商売をやりたかった人でした。

魚政を立ち上げる時、父方に反対されたそうなんです。
5人兄弟で…

子供を寂しい思いにしがちだからって。

気丈なな母だから子供に寂しい思いをさせないからって、最初はうどん屋からスタートさせました。
魚政の前は「堀江うどん」というのです。

でも、親戚は全員魚屋さんで、徐々にシフトチェンジしていきました。

母は仕事バリバリ、でも…

子供たちに寂しい思いをさせない。
家事、育児一切手抜きしない。
厳しい母だけど、愛情深い。

母の人生そのものが魚政なんです。

でも、2011年 9年前にがんで亡くなりました。

厳しいしワガママだけど、チャーミング。
母の作ったうどん、ちゃんぽんは人気でしたね。
今でも母のレシピを作って〜とお客様に言われて、何となく分かるのでその味思い出します。
生き様がキャラでも面白ネタばかりなんです。

使命感でいっぱいです。

貴重なお話ありがとうございます!光代さんのがんの発覚はどうでしたか?

会社の健康診断が、年1回でやっていまして、2018年3月に発覚しました。
母が乳がんで亡くなった事をキッカケに社員全員、健康診断に行くようにしてもらっていたんです。

結果、乳がんステージ1放射線治療 ホルモン治療 温存手術 となりました。

発覚した時、まさか私が・・・
と、全く信じられなかった。

半信半疑でしたね。”本当に!?”という気持ちで一杯でした。

手術後は、チューブで繋がれて動けずでした。
ずっと健康だったので、自分の体を過信していました。多少無理しても大丈夫だったので。

保険は入っていたんです。

何が起こるか人はわからないから。

仕事と治療の両立はどのようにされたのでしょうか?

周りのみんなが普通に接してくれたんです。

頼りにしてくれて、温かな気遣いと、必要とされてると感じる事ができたんです。
誰かの役に立つというのが嬉しくて、仕事をしている時は病気のことを忘れられました。

生活にハリができたのは、みんなのお陰なんです。
がんを冗談にしてくれて、明るく接してくれたんです。
ランチのシフトを無理のないシフト組みをしてくれたり、
私のできる「お客さんに関わることは、みつよさんに」と任せてくれたんです。

自分でもできるようなことは、代わりに率先してやってくれたりしました。
周りのみんなは、抜群に気遣いがすごく良かったんです。

1番シンドかった時はどんな時だったのでしょうか?

いつもは家族と居ましたが、病気で1人に初めてなったんです。

考えなくて良いことを考えてしまっていました。

入院して、”死んだらどうしよう”

”子供達はどうなる?”いざ夜になると不安で心配になりました。

すぐに眠れるように昼寝をしないと決めて、ロビーでかならず過ごしていました。病室にいなかったんです。

それをどう乗り越えましたか?

看護師さんとの何気ない会話で落ち着くことが多かったんです。

病気の話じゃなくて、普通の話をしていました。

大切にしていることは、明るく過ごす。
自分らしさを失わない。
ですね。

入院中に絵本を書いていたんです。創作物語を書いていました。
ロビーで文章やセリフを書いていたんです。

話の内容が、理想のお母さんを探しに行く子供達のアドベンチャー(笑)

子育てができていなかったので、妄想の絵本を作っていました。

目標や夢を聞かせてください

母から受け継いだこのお店を地域で必要とされるお店にしていきたい。

家族的な会社なので、家族が会社を面白おかしく楽しくしてくれるか、眺めていきたい。

「面白い会社にしようね」と社長といつも言ってきたんです。

がん経験者の皆さんへメッセージを一言

孤独に感じることも多いと思いますが、
1人じゃないです。自分が頑張っていることを見てくれていて、
勇気づけられたり、励まされたりする人も多いです。
明るく前向きに頑張って欲しい。がんになったからこそ気づくことも多いです。

スマイルハートへ一言是非

代表が橋口さんなので、楽しく面白く、明るい団体でいて欲しいです。
橋口のパワーやエネルギーでたくさんのがん患者さんを、面白い!嘘やろうと思うぐらい明るい団体でいて欲しいです。

光代さん〜!!魚政の若女将のキラキラ感が眩しくて久留米にすぐにでも行きたくなりました(笑)皆様もぜひ光代さんに会いにいってみてくださいね♪ありがとうございました♡

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本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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